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NEWS LETTER みさきで『良い経営』を考える VOL.1

CROSS TALK

みさきで『良い経営』を考える

伊藤邦雄

一橋大学

教授

中神康議

みさき投資株式会社

代表取締役社長

まえがき

みなさま、あけましておめでとうございます。清々しい新年をお迎えのことと思います。 昨年は日本版スチュワードシップ・コードの策定、JPX 日経インデックス 400 の運用開始、「伊藤レポート」の発表、会社法の改正、そしてコーポレートガバナンス・コードの策定など「企業経営と投資家の関係」を見直す動きが相次いだ年でした。 そのような大きな流れの中、私たちみさき投資も「みさきエンゲージメントファンド」をスタートさせることができました。 今はまだちっぽけな存在に過ぎませんが、磨いてきた『働く株主』®というコンセプトのもと、「投資家はどうすれば企業経営にもっと貢献できるのか?」を問うていきたいと考えています。 そして、このたび、折に触れて「経営と投資の関係」を考える媒体があってもよいのではないかと考え、「みさきで『良い経営』を考える」を発刊することとしました。 第一回目の今回は、「持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築~」(通称:伊藤レポート)の座長であり、また、弊社の経営諮問委員長でもある伊藤邦雄一橋大学教授にご登場いただきます。 数多くの社外取締役を務められ、企業経営のリアリティを知る伊藤先生ならではの、 「今、日本企業に求められている良い経営とは何か」への洞察が熱く語られています。お楽しみいただければ幸いです。

みさき投資株式会社

代表取締役社長

中神康議

目次

日本企業はイノベーションを 創出し続けなければならない。

中神:伊藤レポートが 8 月 6 日に公表されました。伊藤先生はプロジェクトの座長を務められましたが、背景にある問題意識は何でしょうか。 伊藤:昨年 7 月、経済産業省内のプロジェ クトとして発足し、50 名前後で分科会含めて計 30 回開いたものを集約しました。座長だったので伊藤レポートと呼ばれています。 背景としては、日本企業や産業が、「失われた 20 年」というややマスコミ的な言葉に象徴されるように、「長期持続的低迷」を経験してきたことがあります。しかし安部政権が発足し、政府の側で企業や産業の力、稼ぐ力が重要だという問題意識が出てきたことが大きいでしょう。そうでないと経済に良い循環は生まれません。 言うまでもなく、現在日本にもグローバリゼーションの波が押し寄せています。日本も適応しつつありますが、要諦は二つあります。一つは多様性で、文化も人種も違う人々と共存しなければなりません。もう一つはわかりやすい形で KPI(Key Performance Indicators 重要業績評価指標)を示すことです。個々の企業の力をわかりやすい形で示さないと投資家も安心して投資できないというフラストレーションがあります。世界共通の KPI で日本企業の稼ぐ力が示されないといけません。その代表である ROE を見ると、5%前後で低位集中の状態にあり、まさに 20 年間の長期持続的低迷にありました。この不都合な真実に改めて目を向けたわけです。 中神:議論がいきなり核心に来ましたね。昨今の資本市場改革には二つの流れがあります。一つは英ケイレビューで、これは株式市場サイドへの問題意識が高まった結果としてのものです。 他方で、企業の競争力のためにも ROE が大切だという流れがあります。 最近は毎日のように ROE に関する記事が新聞に載っていますが、株式市場、株式リターンからの問題意識が強まっています。 一方我々が投資の現場で耳にするのは、企業経営者の危機感です。「10 年前は海外の競争相手とあまり規模が変わらず、ガチンコで勝負できていた。ところが 10 年経った今、海外の競争相手は規模が 10 倍になっているのに、われわれは 1.3 倍にしかなっていない。規模が違いすぎて競争にならない」という声です。 世の中にお金はあふれていますが、資本生産性が高い国にはお金が集まり、持続的な株高が続き、M&A も駆使して規模を拡大することができます。しかし資本生産性が低いとオーガニックな成長でそれほど規模を拡大できません。経営の近くにいて、長期で観察していると、資本生産性の高低が競争力に直結する現実を肌で感じます。 伊藤:今の ROE の議論が投資家コミュニテ ィのものばかりだとすれば、伊藤レポートとはスピリットが違います。日本企業が長期持続的低迷を経験してきた最大の要因は、イノベーションを創出し続けることができなかったということにあります。イノベーション創出力で見れば、日本は 3 位以内にはいるでしょう。ところがそのイノベーションを生み出す力のある企業の資本生産性や収益性が長期持続的に低かった。このパラドクスに改めて目を向けました。 イノベーションの力は、10 年前に同じ規模だった海外企業よりも日本企業の方があったかもしれません。それなのに今の時価総額は 10 倍の開きがあります。これは資本生産性が長期に亘って低かったからに他なりません。 内部留保を 50%にすれば企業は毎年稼いだ額の半分は再投資できますが、ROE が低いため再投資できる原資が小さい。かつ、内部留保分を再投資した時にやはり低い ROEでしか回せないことから、ダブルで資本効率の低さが影響してしまいます。 また、ROE が低いと、世界共通の KPI で見た時に、そのような企業に投資してリターンを取ろうというインセンティブが湧きません。 よって、10 年経って 10 倍規模が違っていたということは十分にありえます。

伊藤邦雄

一橋大学教授

インベストメントチェーンを強くしていかないと国が崩れてしまう。

伊藤:ケイレビューは資本市場の短期化にメスを入れました。しかし伊藤レポートはインベストメントチェーンをもっと広くとらえています。企業に目を向け、投資家にも目を向け、両者の対話にも目を向けました。インベストメントチェーンを全体最適で改善し、国富を高めることを目的としています。 もちろんミクロのレベルでも企業に豊かになってもらいたいですが、インベストメントチェーン全体を強くしていかないと国が崩れてしまいます。このままでは 21 世紀の日本は 20 世紀とはずいぶん違う形になってしまうでしょう。 確かに、ROE の議論は 10 年前も 15 年前 にもありました。しかし今回はこうした大きな問題意識の中で語られているので、受け入れられているのではないかと思います。テクニカルに ROE という指標を高めるのではなく、マクロレベルから問題を設定して、それぞれの局面にフォーカスし、関係性を見て、どうするかというプランを提示しました。これが多くの人の共感を生んだのではないでしょうか。 中神:おっしゃる通り、問題意識の高い経営者の中で「伊藤レポート」は反響を呼んでいます。 伊藤:もっと多くの人に読んでいただきた い。この国ではこのような議論が経営者に刺さらないと言われますが、私は変わってきていると思います。これはやや外圧っぽいですが、ISS が過去 5 年平均 ROE5%以下ならトップに反対票を投じると表明しました。これによって ROE という資本効率がトップの選任と言うコーポレートガバナンスのど真ん中に絡んでくるため、消極的ですが尻に火が付いています。 経営者も「ROE が低いのは恥ずかしい」という意識が高まってくるのではないでしょうか。

「ROE」には経営の重要な三つの指標が凝縮されている。

伊藤:なぜ伊藤レポートが資本効率指標の 中で ROE に注目したかと言いますと、もち ろん他の指標もありますが、ROE は経営の重要な側面を凝縮していると思うからです。 まずは ROE の構成要素である ROS(売上 高利益率)の低さです。伊藤レポートの中でみさき投資のデータを使いましたが、日本企業はまさにこの稼ぐ力が弱く、経営戦略・ビジネスモデルそのものが弱いのが特徴です。回転率は、資産を効率的に回しているか、過大な BS になっていないか、そのことに経営者や現場はどう取り組んでいるかを表しています。レバレッジは BS の貸方側の議論で、経営者が戦略的に意思決定した結果であり、経営者のファイナンシャルポリシーを表しています。ROE にはこれら三つが一つの指標に凝縮されています。 ROE の高低だけ見るのではなく、三つの重要な側面からとらえないと、分母を小さくすればよいという短絡的なアクションを誘発しかねません。本質を理解しないと、何%ならいいだろうという議論になってしまいます。 中神:ROS が低いことが問題だというのは 伊藤レポートでも言及されている通りです。一方で、レバレッジの議論は経営者の心情的な反発を生みやすく、「レバレッジをかけることがいいとは思わない」とおっしゃられる方が多い。一方で、最適資本構成はどうあるべきか、という高度な判断要素を突き詰めて考えている経営者は少ないように思います。 伊藤:日本は間接金融時代が長かったので、「銀行との長い付き合い」といえば響きはいいですが、経営者は間接金融の厳しさやマイナスの面もよく知っています。そのため、間接金融の結果である有利子負債をなるべく下げたいと思っています。これほど無借金経営を純朴に信じている国はありません。そのような発想なので、レバレッジがどのように企業価値や BS の効率性に反映されるかということは考えなくなります。有利子負債への過剰反応をもう少し和らげないと、BS をどう戦略的に構成するかという議論は出にくいでしょう。 伊藤:海外企業の考え方はロジカルです。経営にはビジネスリスクとファイナンシャルリスクがあります。ビジネスリスクでキャッシュフローが安定している業界なら、適度にファイナンシャルリスクを取って企業価値にレバレッジを働かせるのは真っ当な判断です。その企業価値論への理解と、それをアクションに移す経営力があります。日本企業は、理解はしてもこれを実行に 結びつけるかといえば、そうではありません。「先生の言うことは分かります。資本コストは下がるかもしれません…。」と言いながら、でもやりません。それでも構わないというのならば、すなわち会社が潰れないだけにするのであれば良いかもしれません。しかし企業は顧客市場だけでなく、資本 市場にも面しているはずです。このような態度が資本市場にも目を向けた経営かといえば、そうではないでしょう。 伊藤:なぜ ROE か、もう一つ強力なエビデンスがあります。レポートの後ですが、 ROE8%は PBR1 倍の分水嶺という分析が示されました。ROE が 8%を超えると PBR も1倍を超えます。これはある意味当たり前で、平均資本コストは海外投資家だと 7.2%と言っているので、8%だとその要求を満たすことになります。伊藤レポートで 8%と言ったのもそのためです。 しかしそれがデータで裏付けられることは、エビデンスとしては大きいと思います。 ROE は企業価値と連動しており、ある水準が分水嶺になります。PBR1 倍以下から転げ落ちるのか、1 倍を超えて高みに向かっていくのかという分水嶺であることを経営者に分かっていただきたい。

株式市場が活況を呈すれば、家計の富の蓄積が進み、よい循環が生まれる。

中神:次は株式のリターンについてお伺いします。 日本の株価パフォーマンスは、長期で見れば見るほどひどいものです。背景には資本の効率が悪すぎることがあります。日本企業の過去 10 年平均の分布構造は、資本コストが7%だとしても7 割以上の会社が資本コスト割れを起こしています。その結果、マクロ的には、家計の財産所得は先進諸国では 15%近くありますが、日本は 5%ほどしかありません。 年金財政にとっても家計の財産所得にとっても、企業の収益力・資本生産性が高くないと困ります。これはインベストメントチェーン全体に光を当てなければならないという伊藤レポートの論点と結び付くと思います。先程は企業経営についてお聞きしましたが、株式リターンについてはいかがでしょう。 伊藤:資本市場で良い循環が起これば、株式市場が活況を呈して株価の平均水準が上がり、家計の財産所得が増えていきます。また年金で運用益が出て、将来安定的に支払うことができます。まさによい循環が生まれてくるのです。 アベノミクスが成功したか否かに関して、「株価が上がっただけではないか。」と言う人がいますが、株価が上がるのはすごいことです。いろいろなよい循環をもたらして国富につながります。そこを捉えずに、「株価だけ上がって」と議論する時点で、この国の家計は株式市場を自分たちに近いものと捉えていない証拠です。 その距離を縮めなければなりません。投資信託を買うにしろ、もっとアクティブに投資するにしろ、企業をよく見て、分析しようと思わなければなりません。CSR も含めて個々人が企業に関心を持つのは良い循環につながります。これも伊藤レポートに込めたメッセージの一つです。 伊藤:ROE がなぜ日本企業の経営者に刺さらないのかと言えば、「"自己資本"利益率」と呼ぶからです。これはドイツ語の「アイケンキャピタル」に由来しており、英語では「"株主資本"利益率」といいます。 しかし人間の行動は言葉にアンカリングされてしまうので、この名称にとらわれて、 BS の右下は“会社の資本”だと思ってしまいます。自己資本なのだから、とやかく言われず自分たちが自由に使っていいと思ってしまうのです。 伊藤:では BS の右下は本来何かといえば、その根底にはコーポレートガバナンスの議論があります。BS とコーポレートガバナンスがどのように絡んでいるのかを捉えないと、社外取締役を複数入れる、OECD 原則に従うなどといった、形式的・表層的な議論に終始してしまいます。 日本の経営者は、BS の借方は分かっていますが、貸方側の理解が甘いと思います。純資産という目に見えるものがあるわけではなく、貸方側はある種の数値なので、これをどう捉えるかが経営の要諦だと思います。

製品市場での競争力と、株式市場での競争力が同期化 した時にすごい力が生まれる。

中神:企業は『3 つの市場』と対峙していると思います。「製品サービス市場」「労働市場」「資本市場」ですが、「製品サービス市場」では、日本企業は世界一厳しい顧客に鍛えられ、世界に冠たる製品を作ってきました。また「労働市場」では、企業は人なりという考えで労使一体となって、現場レベルでの労働生産性を高め、グローバル競争力としてきました。企業経営の進化は常に市場との接点で起きてきたといえます。 残された企業の経営進化は「資本市場」との接点で起こるのではないでしょうか?これまで資本市場との接点は銀行との間にしかありませんでしたが、メインバンク制の弱体化に伴い、株主との間に大きな接点が生まれてきます。これは企業経営にとって、進化のための新たなフロンティアが姿を現したということではないでしょうか? 伊藤:日本企業は客の声を聞くのが大得意です。コールセンターを置いて沢山の人を配置しています。銀行の声もよく聞きます。しかし株主はいわば必要悪だと思っています。この非対称性があまりにも顕著でもったいない。いま製品サービス市場に注いでいる注意力とエネルギーをもう少し株主側に向ければ、大きな経営進化のチャンスとなるでしょう。 製品市場での競争力と株式市場での競争力が同期化した時にものすごい力が生まれると思います。日本企業は製品市場での競争力があれば、株式市場での競争力はついてくると思っていますが、そうではありません。能動的に情報を出していく必要があるでしょう。労働市場でも優秀な人に来てもらうために頑張ってアピールするのと同じです。 中神:伊藤先生にはみさき投資の経営諮問委員長にご就任いただきましたが、最後に、その理由と期待を語っていただければ。 伊藤:中神さん自身が前職で豊かなエンゲージメント投資の経験を積み、自らの夢と意思を実現する場として会社を立ち上げたということが非常に大きいでしょう。 日本でも数は少ないものの、エンゲージメントファンドが生まれてきています。その有力な一つとしてみさき投資があると思っています。一方で、今あるファンドは外人のものが大半です。みさき投資に成功してもらわないと、この国からエンゲージメントファンドがなくなってしまうとすら思います。 また、みさき投資は、エンゲージメントファンドの中でも新しいビジネスモデルだと思っています。それは、対話の場で解決すべきテーマを、経営者とみさきスタッフで共有するだけでなく、ビジネスモデルのアドバイスをし、企業価値を高めるところにも貢献しようとしているところにあります。これは新鮮です。 新しいビジネスモデルなので、解決しなければならない課題はあると思いますが、だからこその挑戦です。その挑戦をやりきって、ようやく革新になります。みさき投資を応援したいと思っています。頑張ってください。

編集後記

「ニューズレターを出そう」と決め、第一号の対談相手を誰にお願いしようかと社内で議論したときに、全員一致で決まったのが伊藤先生でした。昨今の企業と投資家の対話に向けた流れを作った「伊藤レポート」を書かれた伊藤先生しかない、と。しかし大変ご多忙な伊藤先生はなかなかスケジュールの調整がつかず、予定ギリギリの 11 月末に、祝日授業日の合間を縫ってようやくお時間をいただくことができました。 ですが限られた時間の中でも伊藤先生のお話は議論が深まるにつれて熱気を帯び、予定よりも大幅に延長しての対談となりました。社外取締役として、また数多くの経営者と懇意にされているご関係からも企業経営のリアリティを熟知しておられる伊藤先生のお話は、とても刺激に満ちた内容でした。 「伊藤レポートは PDCA でいえば P に過ぎないんです。これからは D をやって、さらに C・A も回していかないとレポート書いた意味がないですよね」とのことで、今年は「一橋 CFO 教育研究センター」というエグゼクティブ教育の場や、「経営者・投資家フォーラム」という経営と投資の対話の場作りにご尽力されるそうです。会計や金融の世界はともすれば数理的、概念的な思考にとらわれてしまいがちです。しかし、常に企業経営の現場に目を向け、「実践者」であろうとする伊藤先生のお姿に改めて感銘を受けるとともに、私たちも『働く株主』という実践者でありたいとの気持ちを強くしました。 当社についても熱い応援のお言葉をいただき、身が引き締まる思いです。今後とも「企業益」「投資家益」「社会益」の三つを常に考え、日本企業の発展に役に立つ投資家像を追求してまいりたいと思います。