2016年の『イェール・ロー・ジャーナル』に、"Corporate Control and Idiosyncratic Vision"(企業統治と事業仮説)という論文が掲載されました。
この小難しい論文で私が妙に惹きつけられたのは、それまで出会ったことがなかった"Idiosyncratic"なる英単語です。自分でもなぜか不思議なほど気になったので調べてみると、「特異な」とか「いち個人に特有の」、「奇異な」「風変わりな」といった言葉が出てきます。これにVisionを組み合わせると「その人にしか見えないビジョン、ほかの人には見えない未来」というぐらいの意味になるのだと思います。
私は、自分がなぜこの言葉に強く惹かれたのか、ようやくわかってきました。これこそ投資家が、経営者から聞かせてもらいたいこと、そのものだからです…
「経営職を務める人に求められるのは、完成度の高い事業観、その1点である」。
これは、神戸大学大学院の三品和広教授の言葉です。事業の正しい進化を見通し、多くの人に反対されようが、独自の考えで道を進んでいく拠りどころ。それこそが本物のビジョンなのだと思うのです。
そして、そのように未来を切り拓いていくようなビジョンとは、ある特定の個人の内面からフツフツと湧き出てくるものではないでしょうか。大衆合議によって作られるものではないと思うのです。だから属人的にならざるを得ないのです。それをIdiosyncratic Visionと言ってもよいですし、日本語で最もぴったりくる言葉は「事業仮説」ではないかと思います。
今回のみさきニューズレターにはSUBARUの吉永前社長・会長をお招きしました。吉永さんは、私が出会ってきた経営者の中でも、強い事業仮説・事業観を持っていらっしゃる方だと思います。今回はその一端に迫りたいと考えました。
そしてこのIdiosyncratic Visionなる「世にも稀な思考」がどこから生まれてくるものなのか、その淵源に迫ってみたいと思います。
語られたのは、徹底した合理と科学的思考、事業経済性への洞察や物事を抽象化する徹底した訓練…。
もちろんこれらのハードスキルはひとつひとつ、とても納得できるものです。しかし、最後の最後に抽出されたのは、会社という”人間の集合体・有機体”における圧倒的なリアリティ・人間臭い真実でした…。
「良い経営」を探求するみなさまに、今回も少しでも示唆のあるニューズレターをお届けできたとすれば、これに勝る喜びはありません。
みさき投資株式会社
代表取締役社長
中神 康議
代表取締役社長
中神 康議
Speaker's
Profile
吉永 泰之 / 株式会社SUBARU 前代表取締役社長
1954年 東京生まれ。1977年に富士重工業 (現SUBARU) に入社し、2011年より代表取締役社長、2018年より取締役会長を務めた。
本人よりコメント:”今回の対談は、話の「大きな流れ」が皆様のご参考になれば幸いです。私の話し方が少し乱暴な部分があり気になりましたが、そのままにしていただきました。私自身は、この6月に退任し特別顧問となりました。”
価値あるマイナーへの憧れ。
でも悔しい思いばかり
中神:本日のテーマは“Idiosyncratic Vision”です。Idiosyncraticという言葉には皆さん馴染みがないと思います。僕も初めて聞いた時には「なんだ、そりゃ」と思ったのですが、なぜか妙に引っかかったので調べてみたら、「独特の」とか「個人に特有の」という意味だと分かり、鳥肌が立ちました。なぜかというと、これこそが投資家として最も出会いたいことだからです。投資家の心が一番躍るのは「独自の事業仮説」を持った経営者に出会った時なんです。
吉永:イーロン・マスクのような?
中神:例えばそうです。でも残念ながらIdiosyncratic Visionはそう簡単に生まれないものですし、それを持っている人もそれほど多くないと思います。でも吉永さんはそれをお持ちです。
吉永さんは社長在任中に、売上高2倍・利益7倍という、ものすごい「結果」を出しました。それを支えたものの一つは考えに考え抜かれた「戦略」であり、もう一つは事業や車種や地域の絞り込みなど、普通なら尻込みするような大胆な「決断」でしょう。
ではその戦略の背景は何か?なぜそんな厳しい決断をできたのか?背後には「事業仮説」があるはずなんです。
以前伺って印象的だったのは「自動車は巨額の投資を要する装置産業なのに、消費者という移り気な顧客を対象とする極めて変わった産業だ」というコメント。事業仮説の前提となる事業経済性への独特の洞察を感じました。
吉永:そんなコメント、よく覚えていますね。
中神:本日一番お聞きしたいのは、一体、どうやったらそんなIdiosyncraticな事業仮説が生まれるのかという「バックグラウンド」です。読者の皆さんの参考になる「事業仮説の作り方」みたいなものを引き出せないかと思っています。
吉永:「結果」を支えた「戦略」と「決断」、それらの背景にある「事業仮説」、そしてそれを生み出す「バックグラウンド」というのは、面白い構成ですね。
中神:尊敬する上司からの薫陶もあったでしょうし、読書なども影響しているのかもしれません。
そういえば吉永さんと私は、座右の書が3つとも同じなんですよね。土光敏夫の『経営の行動指針』、城山三郎の『落日燃ゆ』、そしてリチャード・ニクソンの『指導者とは』。
いずれにしても、吉永さん独特の事業仮説を形作ってきたものは何なのか、それに迫っていきたいと思います。
吉永:まず思い付いたのは、僕は「価値あるマイナー」が好きだということです。ただのマイナーではなく、ちょっと光り輝いているマイナー。特定の人たちから強烈に支持されるもの。そういう会社で働きたくて富士重工業に入りました。
でもその後は悔しい思いばかりです。業界のビリで利益もロクに出ない。社長は日産と興銀から順番に来ている。給料は安い。仕事は給料で選ばない、と格好つけて入社したものの、入ってからこんなに安いのかと後悔しました。
入社直後、うちの会社はなぜ成長していないのかと上司に聞いたら、「うちはホンダのように急成長していないかもしれないが、潰れてはいないだろ?」と。こちらはなぜ成長していないのかと聞いているのに潰れていないだろうと言われると、そりゃ残念ですよね。
セールスでディーラーさんに出向した時も、この会社は市場から物事を考えていないなと感じました。うちは技術系が強くてプロダクトアウトでしたが、自分としては違和感があった。
それらを一言で言うと「悔しさ」なんだろうな。そういう悔しい時に、事業はどうあるべきかとか、経営者は何をすべきかとか考え出しますよね。
中神:「価値あるマイナー」とは面白い表現ですね。尖りがある。「悔しさ」もキーワードですね。理想を持つからこそ、現実との違いが悔しさになる。
吉永:当時の富士重工業は色々な事業をやってはいたのですが、個々の事業は各業界でビリのようなものでした。それなのに「総合輸送機器メーカー」を標榜しているこの会社は、何なんだと。
小さくて経営資源が劣る会社は、戦う土俵を狭めて個性を出さないと勝てるはずがないじゃないかと。
社長になった時に
やることは決めていた
中神:それにしても数ある事業を自動車と航空機に絞り込み、更に自動車では軽から撤退した上に車種や地域を大胆に絞り込む、というのは簡単に決断できることではないはずです。どうしてそんなことができたのでしょうか?
吉永:自分の中でやる順番は全部決まっていたんです。経営企画部長の頃から、色々な疑問や意見がありましたから。同期とは「正しい方向に死ぬほど働いても、会社は良くならないのだろうか」とよく話していました。会社が完全に間違っているとは言わないが、正しい方向には向かっていないと思っていたのでしょうね。
死ぬほど働いて会社の業績が良くなったら創業100周年の2017年に社名を変えよう、ということまで考えていました。誰にも言いませんでしたが。
中神:社名の話は初めて伺いました。
吉永:社長になった当日、株主総会後すぐに、風力発電と塵芥収集車をやめるから売ってくれ、と当時の専務に伝えました。驚かれましたが、突然の思い付きではないんです。何十年、少なくとも十何年はずっと考えていて、経営企画の時に提案もしているんです。
提案した当時は従業員に可哀想なことは出来ないと言われましたが、本当に可哀想なのはこの会社全体が潰れてしまうことじゃないか、と主張したんです。事業の担当者が可哀想なんていうのは、経営じゃないと。
その頃から私は過激だと思われていたようです。でも過激でも何でもなくて、単にどちらが正しいですかと議論をしているだけ。外からみると大胆な決断だったかもしれませんが、自分としては必然です。
中神:合理で科学ですね。論理的に必然であると。
吉永:そうです。「経営は心だ」というのももちろん全然否定しないけれど、もっと科学的にやりましょうという考え方が確立されていたんでしょうね。その後、社長になった。その時に、情が移るといけないので一気にやろうと。
中神:情はあるけれども、決して流されない。相当の胆力が必要ですね。
吉永:当時は「3つの集中」と言っていました。まずは「事業の集中」。体力のない会社が総合輸送機器メーカーとか言っている場合じゃないだろうと。:
思い切って自動車と飛行機に絞りました。ただ、一遍に全部やめる訳にもいかないので、順番とタイミングを考えました。最初は風力発電と塵芥収集車、数年後に産業機械というように。
次に「自動車の中での集中」。軽自動車をやめました。軽をやめたのは、コスト競争で絶対に勝てないから。うちは元が飛行機会社だから、高コスト体質なんです。我々なりにコストを下げる努力はしていても、残念ながらスズキさんには絶対に勝てない。思考回路が全く違うのです。
かつて鈴木修さんが「うちの工場には落葉樹なんかないよ。葉っぱの掃除にコストがかかるでしょ」と仰っていました。冗談だったかもしれないですが、それくらい違うんですよ。一方でトヨタさんのように数の力でコストを下げることもできない。ということは、コストが高いことを前提にして戦略を考える以外に道はないのです。
中神:戦略思考の原点ですね。まずは違いを直視する。
吉永:でも軽をやめると言うと、うちは軽から始まったんだ、とか言われる。「それが何なんだ」と反論すると、もう過激派扱い。論理的な帰結だと思うんですけどね。
面白い話を紹介すると、前の社長がIRで欧州に行って、投資家から「何で飛行機なんかやっているんだ?」と聞かれたので「祖業だ」と答えたら、その投資家がぽかんとして「俺の質問が分かっているのか?祖業かどうかなんて聞いていない、投資効率が悪いだろう」と。もちろんそういう感覚は分かります。でもそれでは経営にはなりません。
中神:経営は情緒ではできないということですね。
吉永:私は情のない人間では決してないんです。単に経営は科学だと思っているだけ。
そういう意味では私は、合理でモノを考えていく投資家と思考回路が似ていると思います。日常業務に没頭していると、情緒に流されてしまう。投資家からの合理的な指摘には社長時代、多くを気付かされました。
話を戻すと、3つの集中の最後は、お客様への「提供価値の集中」。お客様が車を買う時に、「スバルはよく勇気を振り絞って軽自動車をやめましたね。えらいです。だから私はレガシーを買います」なんて、誰一人として絶対に言わない。苦しみ決断しているのは富士重工業であって、お客様にとっては全く関係ないじゃないですか。
中神:確かに。実際、「提供価値の集中」はどのように進めたのですか?
吉永:若手を含めたプロジェクトチームにまずは検討してもらうと、彼らは「環境ナンバーワンの車を提供したい」と提案してきました。僕は、気持ちは分かるけども残念ながらうちにはできないよと答えました。うちのような規模の会社は、単独では先端的な環境技術を開発できないんです。そしたらプロジェクトチームが、「じゃあ吉永さんが求めているような価値は、この会社にはありません」と言ってきました。うちみたいな規模の会社は、すぐにそうやって追い詰められるんです。
でも、もう一度「本当に、うちには独特の価値はないのか」と皆で必死に考えたところ、先ほどの「高コスト、飛行機会社原点」にたどり着いたんです。コストは高いけれど、うちの技術陣はとにかく安全な車を作りたがっていることに気が付いた。で、これを徹底的に売り出そうと考えたんです。
でもCMでいくら「うちのクルマは飛行機のエンジニアが作っているから安全なんです」と言っても伝わらない。どう表現するかをまた必死で考えたところ、「ぶつからない車」というコンセプトが出てきた。よし、これだと。
これがアイサイトなのですが、これが当たって流れが変わりましたね。世界中で売れたから皆が「いける」と思い始めた。特にディーラーさんが。本当に良かったです。
合理を支える事業観
拠り所は「歴史」や「事実」
吉永:もう一つ、これは効いたなと思うのは、「人類はカジュアルになってきている」と考えたことです。ネクタイなんてほとんどしなくなりつつあるし、着るものだって昔より自由になってきている。ということはセダンの時代は終わる、じゃあSUVに注力するぞと。
当時、中国だって最初はセダンが伸びると、皆が当然のように言っていました。クルマの歴史はそういうものだと。それが、蓋を開ければ中国ではいきなりSUVが伸びた。時を同じくして米国でもSUVが伸びた。
本当はね、あの時、うちは小型車をもう1車種造る力がなかったんですよ。技術本部の人員が足りなかった。でも軽を全部やめていたから、設計部隊を動かせる。それで造ったのがSUVのXVと、トヨタさんと共同開発のスポーツカーBRZなんです。
中神:時代の変化を捉えるのも事業仮説の源ですよね。消費に対する洞察が積み上がっていたのでしょうね。
吉永:うちのような会社はトヨタさんのように全方位には張れず、限られた力をどっちに振るかが問われるんです。間違ったらアウトなんですが、読みがあたって良かったです。
今でもうちの事業リスクは高いんです。市場はアメリカに偏り過ぎているし、車種もSUVに振っちゃっている。これらが裏目に出れば全部ひっくり返っちゃいますよ。でもそこはしょうがない。事業は選択ですから。
中神:冒頭に触れた通り、吉永さんは以前、「自動車産業は巨大な装置産業ながら、顧客である消費者は非常に移り気である」と言われた。しかも自分たちは規模の小さいメーカーであると。そこから合理的な戦略は何かをずっとお考えになって、事業の集中、車種の集中、提供価値の集中をした。
当時、自動車業界には「400万台クラブ」という言葉があって、規模のない会社は生き残れないという論調が支配的でした。その中で、吉永さんは規模を追わずに「需要マイナス1台の供給がベスト」と言って、工場の高稼働を目指した。自動車産業は規模型ではなく稼働率事業だ、という独自の洞察ですよね。
吉永:仰る通りなんですが、そんなこと、入社時には分かっていませんでした。まず装置産業であることに気付きました。大きな工場を構えているから固定費が高いと。そして、装置産業と言えば普通は生産財なのに、造っているのは消費財であるというズレにも気付きました。買うのが個人だから、人気がなくなったら一発で売れなくなる。
限界利益線がすごく立っていて、売れれば1台あたり何十万円と儲かる一方、損益分岐点を超えないと簡単に大赤字になる。板子一枚下は地獄です。
危なっかしいことが楽しめないといけない産業に、不幸にも私は入ってしまったということに、入社十何年目かにようやく気付くんです。こうなったら、「3つの集中」をした上で、人気が出る商品を造るしかないなと。
中神:まさに事業観に根差した戦略と決断です。とはいえ、感情の揺れもたくさんあったはずです。
吉永:実は、最初は決断するのが怖くてしょうがなかったんです。何百回考えてもそれしか答えがないと思うから結局やるんですけど、やはり正直言って怖かった。
軽をやめる前に、国内ディーラーの統廃合を大規模にやりました。当時は国内営業本部長だったから、先頭に立って「付いてきてください」と言って廻っていましたが、内心不安でした。
その直後に日本で人気のあったレガシーをフルモデルチェンジしたんですが、チャンスは米国にしかないと思っていたから、車幅を広くしました。実際、アメリカ人にはすごくウケたんですけれども、日本人にとってはトンでもないこと。売れ筋だったレガシーが変わってしまい、ディーラーさんの気持ちが萎えてきちゃいました。
そこで僕が提案したのは「アイサイトに賭けよう」ということ。これにはディーラーさんが仰け反ってびっくりしたんです。当時日本では「ぶつからない」ことの意味が通じていなかったから。
でもこれが当たりました。店舗を閉めて固定費や間接費を下げたところにアイサイトが当たったので、ディーラーさんが一気に黒字化したんです。
アイサイトは「ぶつからない」ことを実感していただくために試乗会の手間がかかるのですが、儲かるからディーラーさんがものすごく協力してくれた。もしあと1年アイサイトが出るのが遅かったら、国内ディーラーさんの気持ちが離れていたと思います。
あれで随分度胸がつきましたね。松下幸之助さんが「9割は運ですわ」と仰っていた気持ちがよく分かります。死ぬほど努力していることを、神様が見てくれていたのかな。
中神:パスツールの言う“Prepared mind”ですね。人事を尽くして天命を待つ。人事を尽くした人にのみ女神が微笑んでくれるんでしょうね。
以前聞いた吉永さんの言葉で感動したのは、「歴史に根差していない強みなんてない」というコメント。強みを定義する時には、今そこにあることだけを見てはダメで、自分たちのルーツが大事。SUBARUの場合は、やはり飛行機であり、安全であり、そして愉しさ。
吉永:「歴史」もしくは「事実」。歴史とか事実に根ざしていないと、強みとか言ったって単なるギミックになっちゃう。そんなものは絶対続かない。うちは元が飛行機メーカーで、技術陣が何より「安全」を突き詰めて考えている。これはまぎれもない事実。
面白いのは、安全や安心がうちの「売り」になるとは、誰も考えていなかった。あまりにも当たり前だったからなんですね。私も後になって気が付きました。ああ、そういうことなんだなと。
例えば、うちのクルマは視界が一番いいんですよ。「背丈1メートルの子どもが後ろに立っている時に、その子の頭が見えなきゃいけない」という厳格な社内基準があるんです。だからうちの車は全部窓が広い。その代わり、他社さんのような窓が小さくて格好いいスポーツカーは、残念ながら造れません。
中神:SUBARUの成功に関してはレガシーやアイサイトのヒットが単発的に取り上げられがちですが、実はコンセプトを純化していったプロセスがものすごく効いていたのだと感じました。そしてコンセプトを純化する時に、「歴史」や「事実」を突き詰めていった。
「君は、アンカーたれ」
1人で事業を丸ごと動かす覚悟
中神:それにしても“限界利益線が立っている”などの事業経済性への洞察はどうやって得たのでしょうか?
吉永:一つ思い当たることがあります。1990年に日産ディーゼルを立て直した川合勇さんが富士重工業の社長になり、常務会が始まりました。参加者は常務以上だけなんですが、そこに1人だけ書記係が入ります。それが私でした。
私を送り込んだのは松崎さんという、後に副社長になる人です。「吉永君は嫌だろうが、いいから黙ってやれ。川合さんは優秀な経営者だから見ていろ。そして彼の言葉を一言一句、全部書け。バカ野郎と言ったら、バカ野郎と書け。そして次の日の朝に1行か2行にまとめて僕に摘録を出せ」と言われました。
初回、翌日の昼くらいに出したら、烈火のごとく怒られました。朝9時には耳を揃えて出せと言っただろうと。
え、嘘だろう?毎週徹夜しろと言っているのか?と思いましたが、こちらも意地になって5年間、毎回次の日の朝9時に出しました。あれはきっと役に立っていますね。どこかで自分の視点が変わっていったのだと思います。
中神:「1行で書け」というのはとても良い訓練ですね。ロジックというものは、いろんなものを捨象して抽象化し、端的な言葉に表せないと積み上がっていかないものです。それでは戦略なんて組み上げられません。本質的なスキルを圧倒的な量で叩き込まれたということですね。松崎さんは吉永さんの素質を見抜かれていたのでしょうね。
吉永:最初に仕えたのは国内営業本部です。当時、彼が本部長で私は課長。毎日何かしら怒られていましたね。
例えば、売れない車種の販売対策を考えろ、と言われて車系別にこれが売れていないから3万円値引きするなどと案を持っていくと、「で、色は?」と聞いてくる。色までは調べていませんと言うと、唇を震わせて怒鳴るんですよ。「何で色まで調べないんだ、そんなことは自分で考えて、調べるのが当たり前だろうが」と。毎回散々でした。
でも半年くらい経ったら、急に中身を確かめなくなった。ただ「ちゃんとやっているんだろ?」と聞かれ、「はい」と答えると、ハンコをポンと押すんです。逆に怖くなりましたね。
中神:で、「君は、アンカーたれ」と。
吉永:それを言われたのは国内営業本部の企画課長の時です。「色々な関係者に可能な限り話を聞き、考えに考え抜いてこの方向と決めたら、君は微動だにするな。君が少しでもグラつくとディーラーの末端がグラグラになる」と。
アンカーとは錨のことです。「私はただの課長ですよ」と返したら、「何を言ってるんだ。販売方針でも何でも、結局は君が書いた原稿通りになっているんだ。実体を動かしているのは君だろう。そのことを覚悟しろ」と。
一万何千人の生活が君に掛かっているというのは流石に言い過ぎだと思いましたが、やはり意識が変わります。確かに、私が販売方針を書いていましたが、正直言って全軍を率いている感覚は全く持っていませんでしたから。
中神:「1人で事業を丸ごと動かす覚悟」は、事業仮説の絶対的バックボーンなんでしょうね。
僕も若手のコンサルタントだった時に、当時の社長から「中神、ケース(=案件)はひとりでやるもんだ」と言われて怖くなったことを覚えています。
他人と違って良い
個性を面白がり、育てる
中神:この対談もそろそろ締めに入っていかなければなりません。勝てる戦略を考え大胆な決断をするには強固な事業仮説がないとダメだと思います。でもそんな経営者は多くない。
どうやったらIdiosyncraticな経営者を作れるのか、お考えをお聞かせいただけますでしょうか。
吉永:難しいですね。自分としても戦略はそれなりに正しかったと思いますが、完成検査の件で、本当の意味での「企業の実力」を上げ切れなかったことを痛感しています。実力あってこその戦略なので、そこは本当に残念です。
ご質問に戻ると、色々な個性を面白がる、そして尖った個性を伸ばす、守るということを、皆で意識的にやるしかないのではないでしょうか。
中神:吉永さんは尖った個性をお持ちですし、明るい快男児。そして愛嬌もあられる。個性を育むのはSUBARUの文化ですか?
吉永:いえ、残念ながらうちは出る杭を打ってしまう方だと思います。
個性と言えば、親からはこんな逸話を聞かされました。幼少期にシアトルの学校で、粘土で「人間を作りなさい」と言われると、ある子は耳を、ある子は鼻を、という具合に皆が自由に作って、それに対して先生が「すごいわ」と言ってくれた。
日本に戻って似たような授業があり、私が何を作ったかは覚えていないんですが、「変な子ね。周りを見てごらん。皆ちゃんと人間の形を作っているでしょう」と言われた。私は家に帰った時、ものすごく怒っていたそうです。
中神:他人と違っていい、違うことが大事だと育ってきたのですね。
吉永:変な例ですが、僕はゴルフもやりません。昔、「業務命令だ」と言われた時も、それなら絶対にやらないと強情を張りました。今でも、他人と一緒でないことへの不安はありません。
中神:経営を科学するために、物事を抽象化してロジックを組み立てる訓練も必要だったのでしょうね。「1行で書け」というのは良い訓練だったのでは?
吉永:そう思います。当時は面倒臭かったですけどね。今ここにその人がいたら、「今頃になって私の意図が分かったんですか?(笑)」とか言いそうですね。本当に可愛がってもらいました。
そういえば、昔、当時の国内営業の専務とぶつかって完全に追い出されそうになった時も、私を国内営業から経営企画に異動する形で助けてくれたのは松崎さんでした。
その時、歓迎会をやってくれたのですが、来たのは時の常務と松崎さんと私の3人だけ。で、座ってから2時間半、延々と怒られたんです。「まさか君が正義感に燃えてあの専務と真っ向からケンカするとは夢にも思わなかった。次は助けられないから気を付けろ」と。
でも最後に、「吉永君は明るいし、人に好かれるタイプだから皆が応援してくれるはず。僕は生涯をかけて、君を守りますよ」と仰ってくれました。
中神:やっぱりそういうことですか。吉永さんには愛嬌があるから、過激で尖っていても守ってもらえた。可愛がってもらえた。めったにお目にかかれないIdiosyncratic Visionが生まれるには、「愛嬌」が実は大きな役割を果たしているのでは?
悔しさを露わにして尖っている人材は、日本社会ではどうしても疎んじられがちです。でも「あいつが言うならしょうがない」と思わせる愛嬌があれば、守り育ててもらえる。
Idiosyncratic Visionは尖った個性からしか生まれないが、周りから潰されないためには、愛嬌が同居していないといけないということですか…。
吉永さん、本日は数々の示唆に富んだお話をいただき、ありがとうございました。
2020年11月 恵比寿にて
※本誌に掲載されている企業についての言及は、当社の過去の投資実績、現在の投資方針を示唆するものではございません。
岩朝 武宗