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NEWS LETTER
 みさきで『良い経営』を考える VOL.16
CROSS TALK
コンフォート・ゾーンから飛び出す

川名 浩一
日揮ホールディングス株式会社
元代表取締役社長
中神 康議
みさき投資株式会社
代表取締役社長
2013年1月にアルジェリアで起きた痛ましい天然ガス精製プラント襲撃、および人質事件――。 それは現地アルジェリア人のみならず、アメリカ人、フランス人、イギリス人、アイルランド人、ノルウェー人といった多様な国の人びとに交じって、多くの日本人の方々が巻き込まれた事件でした。 今回、みさきニューズレターにご登場いただいた川名浩一さんは、当時、プラント建設に携わっていた日揮の社長を務められていらっしゃいました。 この事件は結果的に痛ましい結末を迎えましたが、当時、川名さんが、日本政府のみならず現地政府とも緊密に連絡を取りながら、まさに24時間、精力的に陣頭指揮をとられていた姿、そして現場視察後の記者会見で見せた男泣きの姿は、とても印象的でした――。 ―――――――――――――――――――――――――――――― 時が経って2020年の年末。 私たちは新型コロナ・ウィルスの蔓延という未曽有の危機を、未だ乗り越えることができていません。 本インタビューはウィルスがその脅威を示し始めた本年2月に、川名さんの実体験から未曽有のグローバルな危機の管理・対応のあり方を学ぼうという意図をもって実施されたものです。 そこで語られたことは、地球規模の危機管理・対応とコインの裏表の関係にある、「サービス業のグローバル化」、換言すれば、人によって成り立っているサービス業だからこそ中心的課題となる「日本人そのもののグローバル化」というテーマです。 「一つの会社をゼロスクラッチで立ち上げ、最盛期で数万人の従業員を雇い、3年から5年かけてお客さんに引き渡して解散するというプロジェクトの、日本人らしいマネジメントのあり方」とは? 究極的には「世界最先端の失敗をマネージできる会社」になりたいと語られる川名さんの主張である「若者は現場に、中堅は修羅場に」や、「饒舌な武士であれ」という言葉が意味することとは? 今回のニューズレターも(当初の意図にとどまらない)幅広く奥深い、みなさまの経営の参考になる内容になったとすれば幸いです。
みさき投資株式会社
代表取締役社長
中神 康議
Speaker's
Profile

川名 浩一 / 日揮ホールディングス株式会社 元代表取締役社長

1958年4月生まれ。1982年4月、日揮入社。中東や英国での勤務、プロジェクト事業推進部長を経て、2007年執行役員営業統括本部 新事業推進本部長に就任。2009年に常務取締役、2010年代表取締役副社長を経て2011年に代表取締役社長就任。2017年社長退任後は、取締役副会長等を歴任し、本年6月に退任。現在、再エネデベロッパーのレノバやバンダイナムコHD、コムシスHD、東京エレクトロン デバイスの社外取締役、日本在外企業協会副会長を兼任。大学時代は相撲部に所属。

「非製造業のグローバル化」 ならではの難しさとは
中神:本日は、大きく2つのテーマについてお伺いできればと考えています。 一つ目は「非製造業」のグローバル化です。日本企業のグローバル化というと製造業の話が中心になりがちです。日本製品を海外でどう売るか、現地での開発・生産をどうするか、といった話です。でも、日揮のグローバル化は全然違うタイプですよね。いわゆる「プロジェクト型」で、「労働集約的」なビジネスにおけるグローバル化だと思うのです。 川名:まず、私たちが扱っているのは「大きなシステム」です。もう少し言うと、世の中のエンドユーザーが必要とするエネルギーや製品を生産するための、巨大で、複雑で、高度なテクノロジーが集約されたプラントを造りだす商売なのです。 製造業は、私たちの仕事が終わった後、何年、何十年と操業して商品を世の中に提供するわけですが、私たちはプラントというシステムを作ることによってそれが産み出す価値を決める役割を担っているとも言えます。 プロジェクトには3つの重要な要素があります。「品質」と「スケジュール」と、それから「コスト」。この3つはトレードオフの関係にあります。私たちには顧客の意向や技術動向やマーケットを見極めて、それら相反する要素の最適解を追求する力、そしてプロジェクトを完遂する力が求められます。 中神:その難しさとは、どのあたりにあるのでしょうか? 川名:私たちのプロジェクトは、ある意味「会社をつくって壊す」プロセスを伴います。一つの目標を掲げて会社をゼロからスクラッチで立ち上げ、最盛期で数万人の従業員を雇い、3年から5年くらいかけて設計や工事を完成させ、お客さんに引き渡し、そして解散するということを繰り返しています。 その中で一番大変なのは、やっぱり物事を始める最初と最後ですね。「バスタブ効果」という言葉がありますが、最初の巡航速度に乗せるまでと、最後に安定した着地を行うことがとても大変です。その経験をたくさん積んでいることが強みの源泉になっています。 数千億円する巨大なプロジェクトでも、見積りの段階で「このスペックの製品を生産するプラントを、この品質で、この期間なら、幾らでできます」とコミットします。誰も正確に予測できない中で、私たちは完遂する自信を持ちリスクを取る。これが最も難しいことであり、私たちの強みです。私たちには誰よりもリスクを読み「クォンティファイ」(=定量化)できる力があると思っています。
見えないリスクを可視化する組織能力
中神:なるほど、「リスクをクォンティファイできる力」ですか。そのあたりの感覚はやはり製造業とは異なるところですね。私のキャリアの原点はアーサー・アンダーセン(現アクセンチュア)のシステムコンサルティングで、同じようにプロジェクト型でした。最初の見積もりで失敗しても全部やりきらなきゃいけないし、品質とコストとスピードのトレードオフというのは本当に大変です。それを数万人規模でやるとなるといかに難しいか… 川名:どんなに大きく複雑な仕事でも、「クォンティファイされ可視化できるもの」が土台になります。 私たちは1960年代から海外に進出していましたが、1980年代のクウェートのプロジェクトで大きな飛躍がありました。現在のプロジェクトマネジメントの先駆けとなる手法を全面的に取り入れたのです。人間の動きに例えると、腕を上げる、ボールを投げる、といった一連の動作の一つずつ全て分析していき、頭のてっぺんから足のつま先まで身体の部位がどのようなタスクをどれだけしているか、といったことを定量化できる形にしたのですね。 そして、様々なプロジェクトを通じてデータが貯まってくると、プロジェクトの進め方は可視化できることが分かってきました。すると今度は情報をうまく伝えるツールやチャートを作って表現力を磨き、本社でも現場でもいつでも誰でも同時に最新の正しい情報や実態が分かるようになりました。 また、プロジェクトというのは常に予想と違うことが起きます。それが重要なクリティカルパスに影響するのか、放っておいても後から修正できるものなのかを見極めなければならない。最終ゴールを見定めて、早く手を打つべきはコストを出してでもやるというジャッジメントの連続です。 先ほど見積もりの話をしましたけれど、私たちの世界では「段取り九割」で、やはりきちっとした計画がないとプロジェクトはできません。最大限正確な見積もりと計画を作ります。しかしそれでもさまざまな問題が降ってくる。それを、トップに立つプロジェクトマネジャーが、自分たちの会社だけでなく、お客さん、メーカー、工事会社、時には相手国政府などのステークホルダーとの利害関係を調整して、タイムリーにうまく目指すべき目的と方針に引き寄せる。これがプロジェクトの醍醐味ですよね。
契約に織り込む西洋文化と 協働を生み出す日本文化
中神:直線的じゃないわけですね。ゆがみがあったらコストをかけてみたりしながら、修正を進めていくということなのですね。 ところで、どの会社も悩んでいるのは、「日本的なものだけじゃ駄目だ、でも西洋的なものだけでも駄目で、そのいい塩梅を見つけよう」というテーマ。日揮さんはそのあたりをどのように最適化しているのでしょうか。 川名:日本的なものと言えば「暗黙知」ですね。お互いに分かり合える世界の中で、性善説で動いているわけです。ところがグローバルなビジネスフィールドで性善説は通用しないし、暗黙知じゃ相手に伝わらない。なにより、契約に的確な文言やリスクを織込む考え方が全然違います。その点は西洋的な考えを理解せずに、日本的な考え方だけで出ていっても不満だけが募り、行き違いが生じて失敗しがちですよね。 日本的な情緒だとか、相手のことを思いやる力は顧客の信頼を勝ち取る上で重要な要素ですが、それ以前に日本の企業は契約に弱い。グローバルで闘うには展開を予見し、契約にいろんなリスクヘッジを盛り込む力も必要です。 欧米の企業はさらに上を行っていて、契約のあり方自体をうまく変えながら競争の前提をひっくり返してしまうしたたかさを感じます。 中神:日本の会社は性善説や暗黙知を重視して、ジョブディスクリプションみたいなものはカチッとしていないのですね。以前、川名さんとお会いしたときに「負けない契約」とおっしゃっていましたが、下手をすると日本企業は「負けちゃう契約」になっていたのかと。海外に進出していく中で、日本のやり方で痛い目に遭ったとか、あるいは西洋的なものに日本的なものを加えることでもっと良くなったということはあるのですか。 川名:失敗もたくさん経験しました。でもそうした経験があって初めてリスクの見極めができてきます。リスクがないところには利益も生まれないけれど、闇雲にリスクを取ったり、或いは逆に逃げたりするのではなく、リスクをクォンティファイし、可視化し、マネージすることで利益が得られます。 私たちはいろんなことにチャレンジして失敗したことを財産として、昔だったら見逃してしまうようなリスクも契約の中で押さえられるようにしてきました。それでも日々新しい変化があるから、常に失敗しながら学びを得ている。逆説的には「世界最先端の失敗をマネージできる会社」は強さの現れでもありますね。 「プロジェクトマネジメント」のスキルにおいては世界のどこでもベースは同じです。その中で、私たち日本人は相手の立場に立つことができる。これは強みです。欧米のコントラクターは、非常にシステマティックで、契約主体で動く。でも、西洋的なやり方だけで新興国のビジネスを展開しても、うまくいかないわけです。契約を盾に机をたたいて違約金を取っても、実際に価値を生み出すプラントが完成しなければお客さんにとってはなんの意味もない話なので。寧ろ私たちは相手側の立場に立って、「なぜできないのか」を一緒になって問題解決していける気質がある。もし彼らの問題の真の原因がわかれば、「じゃあ私たちが代わりに提供しましょうか」とかですね。いろいろと揺さぶりながら、ほんとに協働できる状態に持っていける。これはやはり日本人の特性だなとつくづく思います。だから、完全に西洋的な契約勝負だけでやっていっても、それは日揮らしさじゃないと思うのです。そのためには、みさき投資さんじゃないですけど重要なのは「エンゲージメント」ですよ。相手とエンゲージしながら、目的に向かって成功する解決策を提示し続ける。そういうプロジェクトマネジメントが、リスク・リターンを最適化していくのだと思っています。 中神:川名さんは以前から「グローバルジャパニーズ」というキーワードを使われています。そこには問題意識なり、背景なりがあると思うのですけれど、今の話とつながるのでしょうか。 川名:最近はどこの国に行っても日本人の良さが認知されていますよね。それがビジネスにつながるような形にしていかなければとつくづく思います。: 先日サウジアラビアのある会社のCEOと話したのですが、彼は日本企業に対して耳あたりの良いことをいっぱい言うわけですよ。技術力が高いとか、長期的な視点で協力してくれるとか、ぜひとも人材教育やってくれとか。私も気持ち良くなって聞いていたのですが、最後に彼が言ったのは、「でも川名さん、日本の企業って結局日本市場というコンフォート・ゾーンに安住して、こっちに来てくれないんだよね」と。 日本はまだ世界有数のGDPを誇る経済規模があり、日本にいればそこそこ商売もできるし、アジアぐらい見ておけばグローバルと言えると。あぁ、そんなふうに海外から見られているのだな、と考えさせられました。 別の経営者は私に中国企業との違いについて話してくれました。「何か新しいことを始めようとするときに、まずリスクのことばかり話す」のが日本企業だそうです。逆に中国企業は「それ面白いじゃないか」とか「ぜひ乗らせてくれ」とか、オポチュニティーから入ってくる。実際やってみたらいろんな問題が出てくるんだけど、それは途中で対処すればいいという割り切りでね。でも最初からリスクのことばっかり言っていると、「声も掛けたくなくなっちゃうよ」と不満げでした。 新興国は上昇志向が強いので、本来は私たちが持っているリスクマネジメントの力と補完関係が働くはずです。日本人がもっとグローバルな視点で早い段階で機会を捉え、ビジネスを牽引していければいいなと思うのです。
コミュニケーションと フェアな精神を併せ持つ 「饒舌な武士」たれ
中神:日揮は、古くから名実ともにグローバル企業になっているわけですが、でも中心には日本人がいる。その日揮のカルチャーをつくる上で、具体的に心掛けていることはなんでしょうか。すぐリスクを考えてしまうとかコンフォート・ゾーンから出ようとしない日本人を変えていく取り組みというのは、あるのでしょうか。 川名:若いうちからとにかく異文化の中で仕事を体で覚えることですね。私が掲げてきたことは「若者は現場に、中堅は修羅場に」です。今は少し形が違うのですが、総合職の新入社員は入社直後の社員研修が終わったら熱が冷めないうちに、全員国内外の現場に出しました。なぜそうしたかと言うと、エンジニアの多くは、会社に入ってしばらくコンピュータに向かって難しい計算だとか設計したりとかしているうちに、それが仕事だと思っちゃうのですよ。そうじゃなくて、私は現場に出して実際にお客さんだとか工事会社の方だとか、いろんな修羅場にもまれながら実体験として成果を感じる経験をさせたかったのです。 私自身、入社して3か月目にインドネシアのスマトラ島に駐在しました。当時はそれこそ日本人主体のプロジェクトで、「棒芯」と呼ばれる親方みたいな方とか、溶接工の方とか、さまざまな職人さんが日本から来ていました。これがだんだん日本人の給与体系では海外で勝てなくなってきまして…今は国や地域次第ですが極めて少人数の日本人でオペレーションします。例えば、中東のプロジェクトでは60ヵ国以上から数万人が働いていますし、豪州のプロジェクトではほぼ現地の方で、プロジェクトダイレクターはイギリス人です。ただ、彼は日揮にもう何十年と勤めている人材で、ものすごくコミュニケーション能力もあり、日揮のやり方もよく分かっている。そういう人材を育ててきたことも今のグローバル化に繋がっています。 日揮の「海外企業派遣」もユニークな制度だと思います。30歳ぐらいの優秀な人材を海外企業に“一人で”派遣する制度です。日本人や、まして日揮の社員もいない企業に一人で、ですよ。「海外に行ってグローバルになりました」といっても、実際は周りに日本人がいて、先輩もいるわけですよね。でも一人で行くと、頼れる人がいません。自分から進んでローカル化していかなければならないわけです。それはアメリカだったりクウェートだったり…そこで初めて日本人という立場を超えて、本当にいちグローバル人間としての学びが生まれる。最初は相当もがき苦しむのだけど、最終的には認められる。つまり、自分なりの価値を発揮できるようになる。それが彼ら・彼女らの自信になるのです。苦労や、小さな成功体験、自分はできるという自信と自己肯定感、もっとやってやろうっていうチャレンジ精神と、いろんなものを身につけて帰ってくる。すると完全に目つきが変わっているのですよ。 中神:それはものすごい経験ですね。でも、一方ですごく不思議な気もします。僕が小さかった頃は、日本人は世界中から「エコノミックアニマル」とか言われるくらい貪欲で嫌がられるぐらいの存在でした。プラントエンジニアリングもその代表例だったと思いますが、今は全然違うのでしょうか。 川名:私が海外に15年いて感じたのは、今の日本企業の海外派遣の多くは「キャリアパスの一環」に感じます。3年や4年の「仮住まい」認識が前提にあるから、知らず知らずのうちに意識が本社にいってしまう。現地の人からすると、物事が全て本社任せになっているように見えて「あんたは一体なんなんだ」という心情になるわけです。その点、欧米のビジネスパーソンは、派遣された地を「我が家」としてコミットし、そこで培った人脈やビジネスのノウハウを蓄積して自ら主体的に働きかけます。本社からの指示を待っている日本企業と比べると、責任と権限とスピードの差があることを強く感じました。彼らは世界でこうして戦っているのです。その迫力は今、日本人が劣後しちゃっていますよね。 私の理想的なグローバル人材は「饒舌な武士」です。他者への配慮と共に根底に強い信念と「負けるものか」という気概がある一方で、国際社会で通用するコミュニケーション力とフェアな精神を併せ持った人間力の高い人材です。こうした個の力を高め、スピーディにビジネスを発信できる人材を世界各地に根付かせていくことこそが「グローバルジャパニーズ」を実現する道だと考えています。
セキュリティリスクへの対応: 悲劇からの教訓
中神:本当にグローバル化するということは、コンフォート・ゾーンから出るわけですから、思ってもみなかったリスクにも直面します。2013年1月の事件に関しては、日本の企業に対する教訓がたくさん含まれていると思います。日揮にとっても本当に想定外だったと思うのですが、このようなリスクにはどのように向きあっていかなければならないのでしょうか。 川名:海外に出ていくということは、現地の法制度が急に変わるリスクとか、為替や税務のリスクとか、とにかく日本にはない多様なリスクがあるわけです。その中で「セキュリティのリスク」というのは、人命に関わるという特殊な要件を持ったリスクです。私たちは幅広く最先端の経験を積んできたつもりですが、世界はそれ以上のスピードで変わっています。 アルジェリアの件では未だに胸が痛み哀惜の情が溢れ出て止みません。事件があった現場は360度見渡しても広大な砂漠地帯で、かつ周囲はフェンスで覆われ、しかも現地の警察に守られていました。ある意味、世界で一番安全とも思えた場所だったのです。それでも隣国から国境を越えて武装テロリスト集団が襲撃してきたというのは、お客さんの国営石油会社やBPやスタットオイル(現イクイノール)ですら全く予見できないことでした。 中神:それは想像を絶しますね…。 でもまさに、今度はどうやって想定内にしていくのかとかいう取り組みがなされてきたのではないかなと思います。日本企業が今後まだまだグローバル化していかなければならない中で、日揮さんの学びを教えていただけますか。 川名:私たちはプロジェクトを生業にしている会社なので、事件対処時にも各々がプロジェクトマネジメント能力を発揮して迅速に動きました。横浜にある本社の大きな部屋を対策本部にして24時間、常時20~30人でしょうか。気づくとホワイトボードや壁一面に模造紙が貼り出され、家族対応、政府対応、メディア対応など、どういう時系列で何をやらなければならないかを議論できる態勢に一気になったのです。 事件の後は、セキュリティ対策室を社長直轄に置いて専任も増やしました。「室」ですけれど本部レベルで、役員が室長を担っています。それから、社外では海外の軍事プロフェッショナルを現地で雇い、ローカル情報を日次で取るようにしました。また以前からやっていたことではありますが、欧米のセキュリティ専門家などの外部機関や政府と連携する体制を、より濃密かつ継続的に築きました。 従業員レベルでは、担当者のトレーニングの他に外部から集めた情報を基に意識すべきことや行動すべきことをイントラを通じて広く社内に発信するようにしました。例えば、ラマダンという断食の季節がありますが、「○○のようなことが頻繁に起こるから△△は厳に慎みましょう」、「□□には近づかないようにしましょう」といったアラートが社内に回るようになっています。社員全員、リスクに対する感度が高い状態を保ち続けることが大事なのです。 中神:そうですよね。しかし日揮さんの場合、以前からリスクに対する感度は随分高かったのではないかなと思うのですけど。 川名:私たちは1960年代から海外に出ていましたし、その中でも新興国で多くの仕事をしてきましたので、当然対策は採っていました。しかし、あの事件以降は事業本部とは独立した組織に権限を与え、“より事前に”どういうリスクがその地域で潜んでいるかを調査、察知して、あらかじめ対策を立てるようにしました。 プロアクティブにするということは、アンテナを高くして世界中のいろんなところで情報をキャッチできるような仕組みを作るということ。外部のコンサルティング活用もそうだし、人員を増やしたりとか、調査の質や量を増やしたりしてきました。 日本の企業にも右から左までいろいろな会社がある。うちみたいに海外のプロジェクトを生業にしている会社と同じような組織や仕組みをつくろうとしても難しいかもしれませんが、日本在外企業協会や各省庁関係機関、あるいは現地の大使館や専門のコンサルティング会社など外部組織を上手く活用する動きが広がればいいと思います。 中神:なかなか自分で固定費として抱えられない会社は多いですよね。ただ、その意識自体は、どんな会社もグローバルに行く以上必要な意識なのかと。リスクに対してプロアクティブにしたことで事前に察知できた、あるいはうまく対応できた事例はあるでしょうか。 川名:それは結局、「その後何も起こっていない」ことが成果だと思っています。従業員に対するアラートであるとか、マネジメントに対するリスクリポートとか、官庁や多様な機関との意見交換を通じて、何をしなきゃいけないのか、逆に何をしてはいけないのか、つまりは「判断する力」が付いてきたと感じています。自分自身ですべての現地に足を運ぶことができない経営者としては、組織を通じて、あるいは外部情報を通じて正しい判断をやっていけるようにしなければいけないと常々思っています。 中神:欧米の会社は「インテリジェンス」という言葉を使いますよね。 川名:そうですね。インテリジェンスといっても別に秘密情報じゃなくて、その物事の本質がどこにあるかを見抜くような力と判断力のことでしょう。 元統合幕僚長の方とお話したとき、「旧日本軍の失敗の原因は情報課にくらべて作戦課の力が強かったから」とおっしゃっていました。敵の出方をほとんど考慮せずに自軍のやりたいことを優先してしまったと。正確な情報を迅速にきちっと集めていくことと、その情報を分析して意味のあるインテリジェンスに高めていく体制こそが実は重要だという話にとても納得しました。 自衛隊も企業経営も、人の命を懸けて国家/会社の存亡に関わる戦略を作っていくことが本丸という点で相似形。「上質な情報を取る」、その上で「分析・判断して対策を採る」ことを、一連のセットとしてできる会社になっていきたいですね。おそらく海外のグローバル企業は、そうしたインテリジェンス機能が発達しているのでしょう。 中神:なるほど。アルジェリアの事件を通じた学び、日本企業の経営者に対するメッセージがあるとすると、情報と判断に基づくインテリジェンス機能を強化すべきということでしょうか。 川名:おっしゃる通りです。そしてそれ以前にマインドセットも重要です。経営者は人の命を預かっている。企業にとって人の安全が何をおいても一番大事だという信念と文化を社内に浸透することから始まります。私たちの場合は事件によって図らずも全員が思い知ることになりましたが、海外に出るときには常にテイルリスクが潜んでいるという意識を持つこと。そして、いつ何が起きても経営者はリスクの中心にいるから、しっかり情報収集を行なおうとか、全員一緒になって予防策を作ろうぜという社内啓蒙。人任せにするのではなく、自分の身は自分で守るという意識と文化も大切です。 その上に「情報収集・分析ができるようなシステム」をつくり上げていくということですね。やはり自社だけではできないから、外部機関・専門コンサル等をうまく活用しながら、重層的に、多面的に対応できるような体制を取ることでしょう。これは経営トップが意識を持つことで可能になるもので、担当者で動かせる話ではありません。 中神:やはり経営者の意識に尽きるのですね。リスクと深く向き合っているからこそのメッセージだけに、大変重みがあります。貴重なお話をありがとうございました。 2020年2月 横浜にて ※本誌に掲載されている企業についての言及は、当社の過去の投資実績、現在の投資方針を示唆するものではございません。 PDFはこちら
編集後記
今年はドラマ「半沢直樹」が放映され、社会的な旋風を巻き起こしました。 勧善懲悪の明快なストーリーや俳優陣の凄まじい演技力、象徴的な決め台詞が話題となりましたが、半沢直樹の強い信念と気概、なにより「リスクを取って行動する姿勢」に感銘を受けた方も多いのではないでしょうか。 「日本人はリスクを取らない国民性である」という言葉をよく見かけます。「安全志向」「横並びの気質」などに言い換えられた表現も同様です。実際に世界価値観調査といった国際的な統計調査でもその傾向はハッキリと出ていますし、典型的な日本人を自覚している私自身にも実感あります(苦笑)。その理由を遺伝子レベルに求めようとする研究例もあるようですが、「生まれつきだから仕方がない」と開き直るのは思考停止でしょう。 当たり前ですが、いつの世でも「確実な部分」と「不確実な部分」が入り混じっています。脳科学の分野ではこのことを『偶有性(ぐうゆうせい)』と呼ぶそうです。人間の脳は確実と不確実の均衡で成り立っていて、自分の中に原理原則や法則といった「確実な部分」を持つからこそ、相応の「不確実な部分」に対応できるようになります。 その意味で、川名さんがおっしゃられた「リスクをクオンティファイ(=定量化)する」「上質な情報を取る」という基本動作は、『偶有性』の真理を突いたご指摘だと思いました。見える化し、分析から本質を見抜いて「確実な部分」を増やしていくことこそが、「不確実な部分」に立ち向かう総量を増やしていく。そう考えると、日本企業のリスクテイク力を高める第一歩は、思い切った大戦略を掲げる以前に、(意外とまだできていない)管理会計の洗練や、市場・競争環境の情報収集および洞察するプロセス構築にあるのかもしれません。 半沢直樹を量産することは現実的でないにしても、「リスクテイク力を高める仕組み」を考えていくことが日本企業にとっていかに大事なテーマなのか、対談を通じて改めて思い知りました。 みさき投資にも全く同じことが言えます。『偶有性』の塊ともいうべき株式市場で新しい価値を切り拓くために、あるいは投資先企業の成長を創るために、まずはみさき自身のリスクテイク力を磨いていく必要があります。ちっぽけな組織ではありますが、社内では様々な活動や指標の見える化、リスクテイクを促す仕組みづくりを進めているところです。
ディレクター
中尾 彰宏